ネパ−ル.ランタン谷トレッキング
ペンション.ラリ-グラス」 トレッキングツァ-2006
 3/22〜4/3 2006 (13日間) 16名
シャブルベンシ―ラマホテル―ランタン―キャンジンゴンパ往復


このページは、今回のトレッキング参加者、新潟県の大野 實さんから寄せられた記録です
 

ランタン.リルン(7245m)南西面

ガンチエンポ(6387m)夕映え
 生涯の貴重な財産に !! ― 
親父、おふくろ、見ているか この絶景を !!
ネパール、ヒマラヤ、バクタプール
貴方のおかげで得た喜びを
今やその恩に報いる術もなく
ああ 南無阿弥陀仏 南無妙法蓮華経 !!

とうとうやったぜ 古希祝のネパール・トレッキング!!
只今、シャブルベンシに無事到着だ
振り返れば、ゴサインクンドもむせび泣き
感謝、感激、 ああ、南無阿弥陀仏 !!
70歳にして、期待と不安でいっぱいだったネパールトレッキングが無事終わりに近ずいて、自然と私の口をついて出た詩とも歌ともつかぬ喜びと感動の言葉であった。
記憶をいつまでも鮮明にどどめるべく、つたない記録をつけることにした。



 
今年は、天候の異変とも思えるほどの寒さが長引き、各地でまだ冬から抜けきっていないと思われる中、3月22日、午後、中部国際空港(名古屋)から、中継地点の、バンコックへと飛び立った。バンコックには、夜遅く着いたが、ここは、常夏の国、半袖姿で、街を行き交う女性の姿がまぶしかった。
翌日、ネパールへと向かう。機がネパール上空に近づくと、目に飛び込んできたのは、薄っすらと白雪をたなびかせたヒマラヤ山脈だった。最初に目に入ったのは、一番右側に、カンチェンジュンガ、次にマカルー、そして、雲をたなびかせているエベレスト。その左方のほぼ中央部分には、5年前の観光飛行の際に、望遠レンズで大きく捉えた見覚えのある「メンルンツエとガウリサンカール」、さらに、その左方には、ジュガール、ランタン山群が望め、ネパールの主要な山々が一望でき興奮を覚える。機が次第に下降をはじめて、カトマンズに近づくに従い、水蒸気と、塵の影響か、視界から完全に消えてしまった。
カトマンズの、王宮に近い「アンナプルナ.ホテル」に宿をとり、翌日から、いよいよ本格的なトレッキングだ。我々一行は16名。当地の山岳ガイドとポーターを含めると、総勢26名。カトマンズを5台のランドクルーザーに分乗して、明日からのトレッキングの基地である、シャブルベンシを目指して本格的な山行が始まる。ここまでで、2泊3日を要し、さらに、3泊4日かけて、最奥のキャンジンゴンパに入る。キャンジンゴンパからは、さらに2泊かけて、来たルートを折り返して、基地の、シャブルベンシに戻る。全行程は、12泊の旅行となるが、ポイントの目標地点への中心部分だけをみれば、3泊4日である。


― 3月24日(晴れ)山行1日目カトマンズ.7時発(車)―トリスリバザール.10時―シャブルベンシ.15時25分着 ―
本日の行程は、標高1350mかのカトマンズから北北東に位置する山岳基地のシャブルベンシ(標高1460m)まで、直線距離は70kmにしか過ぎないが、くねくねと曲がり曲がった山道だけに、実際の距離は150kmも離れていようか。その区間を、約7時間かけて詰めることになる。
高度差は殆んどないものの、急峻な傾斜地につけられた狭い山岳道路を谷底へ下ったかと思うと、今度は峠に向かって這い上がる。この繰り返しである。山道はでこぼこ道。そんなにひどい道とは思われないが、耐用年数を過ぎてスプリングの効かなくなった山岳専用車だけに、少し大きめの穴にでもタイヤがはまるとバウンドがひどい。身体を窓ガラスに打ち付けたかと思うと、今度は車の天井に頭を打ち付ける。上下左右に身体を打ち付けながらの7時間は相当にこたえた。時々、山岳検問所に差し掛かる。銃を構えた兵士の検問は、慣れない光景だけにあまり良い気持ちはしない。

はるか峠の先にシャブル見ゆ
人痩せ、家畜肥える 
 ネパールの山あい


ここシャブルベンシは、山岳コースの基地となる村で、トレッキングの人たちでにぎやかな雰囲気がする。学校、郵便局、はたを織っている民家も目に入る。谷間に咲く「シーマ」が色鮮やかに大きな花を咲かせ、暮れはじめた谷間を赤く彩っていた。街道の両側には「ホテル」とかかれた「ロッジ」が20件ほどあろうか。子供達が春の夜を惜しんで、遅くまで騒いでいた。


―3月25日(晴れ)山行2日目/シャブルベンシ.6時発―バンブー11時40分―ラマホテル.16時20分着―
今日から徒歩で本格的な山行となる。朝4時起床、5時朝食、6時出発のパターンが始まる。ここでの寒さは考えていたほどではなかった。
出発に際して、トレッキングに関する注意事項の伝達を受ける。さすがに主催者の経験と責任感が伺える。途中、小銭が必要になるだろうと考えて、釣銭目当ての買い物をした。出したお金の何倍にも相当する分厚いつり銭の紙幣が返ってきてビックリした。しかも、醤油に漬けていたのではと思えるほどの、ぬるぬるした紙幣に、これまた閉口した。

「着いた 着いた」 の声聞けば
心も弾む ランタン・コーラ
のどを潤し セミの声
(コーラとはネパール語の 「川」 を意味)


11時40分、休憩地点の「Tibet Guest House Bamboo(1960m)」に到達。昼食をとる。この辺りは、地名にふさわしく、背の高い竹が自生していた。農民の住宅はほとんど竹材でできている。

聞きなれぬ鳥の声に誘われて
踏み分け入りし
ランタンの谷 涼し

疲れて汗ばんだ体にランタン谷から吹き降ろす風が誠に心地よい。この辺りは既に夏なのであろうか。短い夏をせわしそうに鳴くセミの声がものかなしそうだった。
ラマホテルの手前のロッジ「リムチエ」に15時50分着。第一ポイントのラマホテルに着いたのは、16時20分だった。夕食の餃子に舌包み。ここは今夜の宿泊地である。


とりあえず.皆.元気に吊橋を渡った

バッテイ(茶屋)のバィニ(少女)

バンブ-ロッジで優雅にティータイム


―3月26日(晴れ夜雨雪)山行3日目/ラマホテル.6時55分発―ランタン村.17時15分着―
予定時間をパターンより1時間遅らせる。7時にスタート。リバーサイドのガムナチョーク(2760m)に9時10分着。進行方向左肩に、白い峰を頂いた山が突然我々の目に飛び込んできた。初めて目にする山であるが、普段写真で見慣れていたので「ランタン.リルン」であることは明白だ。多分、「U峰」と思われる。皆、憧れのランタンリルンを目前にして、かなり興奮している様子が手にとるようだ。

あ、あっ!! ウオー
真っ白く着飾ったランタンよ
初めて見るランタンよ
初めての最後となるのかランタンよ



ゲンゲ.リル-別名ランタンU峰

U峰から主峰に続く.アイスリッジ

ランタン.リルン

私は、適切な言葉が全く見当たらず、ただただ、うめくだけであった。興奮で身体が震えてきた。11時25分、休憩地点の「ゴラタベラ(3020m)」に着く。昼食に「お餅」をたくさん頂き感激する。

ネパール来て
日本料理のおいしさ身にしみて
母ちゃん恋しやホ―・ヤレ・ホ―
(註  「ホー、ヤレ、ホー」は古典物語「あんずとずしお」から引用)

17時30分、ようやく第二ポイントのランタン村のホテル(標高3330m)に到着。今夜はここが宿泊地となる。天候が崩れ始め、雪がちらついてきて驚く。夕方には回復気味となるも、18時頃、再びガスが濃くなって、再度雪に変わってきた。その後、雪は止んだものの、間段なく激変し、雷鳴まで聞こえてきて、先行きの不安がよぎる。夜半、トイレへ行こうと外へ出てみると、夜空は、なんと星空でギラギラと輝いているではないか。気温は、氷点下10℃位か。トイレの水は凍っており、身体は寒さで震え上がってしまった。

―3月27日(晴れ)山行4日目/ランタン村.7時55分発―キャンジンゴンパ.13時40分着―
いよいよ今日は最終目的地のキャンジンゴンパ(標高3840m)へ向けて出発する。目標地点への高度差は400mほどに過ぎないが、ここは既に3400mに近い。次第に身体がいつもとは違っていることに気付かされる。頭痛を覚える者、風邪気味を訴える者等、様々だ。私は、鼻をかむと、かなり出血を伴うことに閉口した。
途中、別のグループで、ヘリを使って、この近くまで飛んできたものの、高度順応が出来ずにダウンし、顔面蒼白となって、道路際に倒れこんでいる女性がいた。また、ヘリを呼んで、カトマンズへ引き返して行くトレッカーもいた。初めての体験であったが、高山病対策は、おろそかに出来ない重要課題であることを、改めて思い知らされたのである。
道路に沿ってお経を刻み込んだマニ石の放列の中を(メンダン)通り過ぎると、急に広々とした視界が開けてくる。左には、白雪を頂いたランタンリルン(7245m)、中央には、ガンチエンポ(6387m)が、右には、ポンゲンドブク(5930m)の山々が視界に飛び込んできた。
13時40分、とうとう目標地点のキャンジンゴンパに辿り着いたのであった。ここからチベットへの国境までは、直線距離にして2kmほどしかない至近距離にある。
  
一二三四  一二三四 
     腹式呼吸で辿るランタン街道
           チトチト歩けばゴールも近し
(註  「チトチト」はネパール語で 早く の意味)



夜半に見た星空は、まるで、おとぎの国にいるようなすばらしい光景であった。

     
上記2枚の写真、クレックで拡大写真がご覧になれます

はるか明治の末に、河口慧海氏がネパールからチベットに潜入した経路は、このチベット街道ではなかった。しかし、風景は、当時も現在も、大きく変わっていないとおもわれる。私が崇拝する同氏の旅行記「チベット旅行記」は、3回ほど読み返したが、今、見ているこの夜空は、その作品にでてくる情景そのままのような気がした。
こうしてとうとう永年の思いを達成させることが出来た。
翌日は、キャンジンゴンパに別れを告げ、これまで辿った逆に「ランタン村」「リムチエ」に宿をとりながら3月31日出発地点のシャブルベンシに辿り着いた。

キャンジンゴンパ

ランタン.リルン

ガンチエンポ

キムシュン

ナヤカンガ

ポンゲンドブク-


お世話になったポーター達. ダンネバード

最後の夜は・・レッサム〜ピリリ〜
♪♪歌い踊る

 

今回のトレキングは、歩きながら目をすえれば、目指すランタンの山々が眼前に迫ってくる。色とりどりの石楠花が咲き始めた谷間を覗めれば、キラキラと光る雲母岩も目を楽しませてくれた。この辺の岩石は、長石、石英を主成分とする鉱石類が非常に多い。
また、他の鉱石を歩きながら探すのも、その生い立ちを考えると実に楽しいものとなった。目をつぶれば、これまた歌とも詩ともつかない心の中の叫び声がほとばしり出てくる。私にとっては、命の洗濯とも貴重な財産ともなり、誠に得がたい経験となった。
これもひとえに「ペンション.ラリーグラス」さんのご苦労をはじめ、参加者の方々の暖かいご指導の賜物であり、誠に感謝、感激に堪えない。また、現地のポーターの皆さんには、我々の荷物を担いでいただき、なんと御礼を云ったらよいのか分からないほどである。
彼等の慣わしとはいえ、重い荷物を担いでいただいて「これでよいのだろうか」と、自責の念を禁じえなかった。彼らは、しっかりした登山靴を履いているわけではない。裸足にスリッパをつっかけ、竹篭に重い荷物を乗せて、紐で頭に支えての重労働である。ポーターの中には、我々のトレッキングに参加する為に、呼び出しの連絡だけでも片道3日もかかる山奥から、カトマンズにかけ参じた者があったらしい。飛行機や車で飛んできたわけではない。夜は農家の軒先を借りて野宿し、自炊をしながらの参加である。
最後の日、シャブルベンシのロッジで、彼等と車座になり、酒を酌み交わしながら、踊り狂ったのが良い思いでとなってしまった。


帰って来て、写真を整理していて「ハッ!」と驚いたことがある。
往き道の、あるロッジで、休憩をしていたときのこと、サーダーが「みなさーんどなたか独身の方で、この娘さんを日本へ連れて行ってくれる方はいませんかー?」と一人の美しい娘さんを連れてきた。「俺が連れて行くよ!!」と、咄嗟に、私は手を上げて叫んだのであった。そして、皆で笑いこけながら、私はその娘さんと肩を組みながら写真をとったのである。その場は、ただ、それだけのことであった。(当たり前だよね!)帰り道には、そのことをすっかり忘れていた。そして、私は、髭もそり、服装も変わり、疲れ、やせこけて、多分、別人のようになっていたのであろう。
帰りのあるロッジで、お茶をいただいて、いよいよここを最後に出発しようとしたときのこと、ロッジの外れの崖っぷちまで、私らに手を振りながら小走りになって見送ってきてくれた娘さんがいた。私は、既に、姿が見えなくなる崖岩に差し掛かっていたが、振り向きざま、その娘さんの写真を1枚カメラに収めた。日本に帰ってきて、写真をじっくり整理していて「ハッ!」と驚いた。手を振って見送ってくれた娘さんは、往きに腕を組んで写真をとった、その娘さんであったのである。



ランタン谷のラリーグラスの花(紅い石楠花)


トレッキングのメンバー


海外登山と世界の山旅