2010.11/23〜12/07 15日間 Manaslu Circuit |
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●マナスル周遊.行動記録 |
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11月23日 PKR 7:10(専用バス)ArughatBazar15:10(曇りのち晴れ) タブルチュリ登山後、ポカラで2日間休養、次の目的地マナスル周遊に向かった。ポカラからはチャーターバスで移動。途中4台の交通事故現場を通過、この国は道路も未整備運転マナーもよろしくない、身の危険を感じながらのドライブだった。幸い我がドライバーは安全運転、バスの窓からの砂埃を我慢すれば、まあ、のどかなバスの旅だ。 適度に休憩も取り、山を越え谷に下り、時には10キロほどの速度で、右に左に振られながら悪路のドライブが続く。 しばしば、道路脇にそれてのピサタイム(おしっこタイム) 峠のバッテイのダルバートは旨かった。 歩くよりも疲れた長時間ドライブで、ようやく、アルガトバザールに着く。 バスを降り吊り橋を渡り、対岸を徒歩20分「サードステップ」と言うロッジに宿泊。
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11月25日 Sallaghari7:00-Tatopani16:05(晴れ) 今日も濃い霧が立ち込めている。ラプべシまでは下り、ここは結構大きな村で、グルン族の村だ。田や畑が広がり比較的肥沃の地に思える。 立派な吊り橋を渡り、ブリガンダキ右岸道をたどるとカニベシ。ここから30分ほど下ると河原の砂地に出る。マチャコーラと呼ばれている所で、素朴な石積みの小屋があり、バッテイ(茶屋)になっている。 ここから幾つかのアップダウンの道が続く。 タトパニ到着は16時を過ぎていた。 ロッジ泊を考えたが、部屋があまりにも汚い、ベッドに腰掛けると、今にも壊れそうだ。急遽ロッジ横の狭いキャンプ地にテントを張る。 タトパニは、その名の通り温泉が湧き出ている。浴槽らしき所には2本の蛇口があったが、一か所はぬるま湯、もう一つの蛇口からは40℃ほどの湯が出ていた。 ここは、岩壁とブリガンダキの間に挟まれた村で、規模もさほど大きくはない。 この日暗くなってから韓国隊が到着した。 トイレ小屋は河まで垂れ流しの水洗、トイレ内を流れる岩溝の小川は湯が流れていた。 |
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マチャコーラの茶屋 |
タトパニ、岩の間から温泉が流れていた |
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11月27日 Filim7:10-Deng13:10(晴れ) 今日の行程は短い。平坦な道で緩やかなアップダウンが続く。谷は狭くなり、山腹を巻く道をのんびり歩く。住人もチベット的な服装が多くなり、いよいよ辺境の地に入ってきた感じがする。途中、村の娘さん達がデジカメに興味をもち、撮影後、カメラを、皆、交代でのぞきこみ、大騒ぎをしている。カトマンズでは、今や一般的になったデジカメもまだここでは珍しいのだろう。 通過する集落は日当たりが悪く、過酷な生活がしのばれる。 キャンプ地は、収穫の終わった農家の畑、テント設営後、寝袋をドライするが14時には陽が落ちる。 陽があるうちは暖かだが、岩山に太陽が沈むと、かなりの寒さを感じる。 |
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11月28日 Deng7:00-Namru 15:45(快晴) ダンから平坦道30分で左岸に渡る。Bihiフェディ8:30(ガップまで3時間表示あり)Prokで前方開けガップの村が見える。 村の入り口で、バヒニ(少女)達がスモモのようなものを取っていた。2〜3個もらい食べてみると、すごく渋いおかしな味がした。まだ収穫には早いのか、味はスモモの感じだった。「ミトチャイナ」(美味しくないよ)と、言うと、ふざけて投げつけてきた。 子供たちの写真を数枚撮り、村に向かう。 数日前から感じていたが、この辺りの村人は、実に純朴、多くのトレッキングコースでは、写真をとると、必ずチップをくれ、飴をくれと、何かを要求してくるが、ここではそんなことはない。この純粋さには、なにかほっとさせられた。 村が近づくと、畑が広がり、メンダン(経文の掘られた石積みの長壁)も多くなる。 緩やかな登りで、カンニ(仏塔の門)をくぐると、ガップに着いた。 ガップからは、村中を通過、右岸へ渡る。 林の中の道を長時間歩き、やがて開けた草地で休憩、ここは陽だまりで風もなく暖かい。チリンがチベット語で村人と話しこんでいる。なかなか動こうとしない。まあ、急ぐ旅ではない、のんびり草地に寝転んですごす。 ここからは、林の中を少し下り、橋を渡り、急登が続く。今日は支流にかかる幾つもの橋を渡った。 ナムルは民家の庭にキャンプ。ここも14時頃には陽が落ち、寒い。 鶏が1羽1500Rs、少し高かったが2羽購入、チキンの豪華な夕食となった。 韓国隊は今日も苦労したようだ。暗くなってから到着した。 |
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ローで昼食 |
11月29日 Namru7:10-Lho11:30-Sama16:20(快晴) 朝の寒さは厳しい。炊事の排水や周辺の小川も氷っている。10分ほど歩くと、ようやく太陽の恵みがこの大地にもおとずれる。緩やかに徐々に登っていく。谷も広く、明るくなり、道も結構整備されている。 リヒ、ショウなど幾つかの村を通過する。その度にカンニをくぐったり、出たり、この周辺は実にカンニが多い。 ローの近くで、ようやくマナスルが姿を現す。 村の入り口には菜の花が咲いていた。立派なゴンパがありルンタが風になびいている。いよいよチベット圏に来た、感じだ。 ここで昼食をとる。マナスルを眺めての食事は、至福のひと時だ。 ローからサマまでは約3時間ほど。途中P29も姿を見せる。 ここからの道も歩き易く、村から村への生活道路が続く。周辺も明るく開け、サマ近くの広大な草原は、のどかで快適だった。 今日も天気は快晴、雲ひとつない。。 サマの村には、既に、ポーター達によってテントが設営されていた。 |
11月30日 サマで休養日 昨夜から下痢気味、夜中、頻繁にトイレに行く。食当たりではなく、急激な寒さにやられたようだ。サマに着いた時、汗をかいた身体に悪寒があった。 こんな時は絶食が一番。ちょうど休養日でよかった。午後には少し落ち着いた。 |
12月1日 Sama8:05ーSamdo12:25 (快晴) 下痢はどうやら落ちつているようだ。軽くお粥のみ食べ出発する。 サマ集落から正面高台のゴンパに向かう。メンバー4名で500Rsのドネーションをし、ラルキャ越えの旅の安全を祈る。 プジャの後、ケルモカルカに向かう。ここからはマナスルの全容が望め快適な道が続く。 この先も、のどかな平坦道。 岳樺や小灌木が目立つようになると、やがて河原に出る。 今日の行程は短い。 途中マナスルを望む広い大地で、幾度も休憩を取りのんびりと歩いた。 河原からは尾根をゆるやかに巻き気味に登って行く。小さな丘に立つと、宿泊地サムドゥが見えた。 この辺りはもう森林限界を超えている。 今日はたっぷり休憩を取って歩いたが、4時間ほどだった。 サムドゥの村からは、チベットへの道が左右に続いていた。 午後、キャンプ横の岩の上でコーヒーを飲み、周辺の山々を望みながらあれこれ思いをめぐらす。 ここからチベットへは簡単に行けそうに見える。昔は、この先の旧ラルキャバザールではチベットとの交易が盛んだったそうだ。 周辺の山々を眺めながら、数日間ここで滞在日を取らなかった事を悔やんだ。 あのチベット国境の尾根に立ちたい、あの向こうは、どんな風景があるのだろう、そんな衝動に駆られた。 |
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12月2日 Samdo8:10-Dharamsala12:45(快晴) サムドゥから少し下り、ブリガンダキ源流の橋を渡る。ガレ場を登り、ラルケ.ダンダの山腹道をたどる。 今日のコースは、サムドゥの村からもよく見えた。 草付と岩の道で、巨大な自然庭園だ。しっかりしたトレイルもついている。2か所ほど沢を渡った。飛び石伝いに渡るのだが、石に氷が張り始末が悪い。新たに大石を投げ込み、ステップを作りなんとか越える。 振り返ると、サムドゥの背後に、KutangHimalが見え、ブリガンダキの谷の奥にはガネッシュ山群も望める。 標高は4000mを越えた。緩やかに、少しずつ高度を上げていく。 陽もだいぶ高くなり、暖かくなってきた。長閑な所で、なんだか楽しくなってくる。 ダラムサラ(標高4460m)は石積みロッジが完成していた。手前に旧建物、その後方に新しい立派なロッジができている。 ダイニングルームは、新館が一部未完成で、外ではベッドも作っていた。 今夜は、このロッジで泊る。 陽が陰るとかなり寒い。石積みの室内は目張りをしてない為、夜はかなり冷え込んだ。 同室の相方は眠れなかったようだが、熟睡できた。 |
ダラムサラのロッジ |
12月3日 dharamsala3:15-Larkya.la8:20-Bimthang13:40 (快晴) 早朝3時15分出発。夜明けをラルキャ.ラで迎えようと、早い出発にした。ポータ達は、更に早く出発していった。峠の向こうは、陽が当たると落石が多いらしい。 ロッジから出ると強烈な寒さだ。星空がきれい。今日は標高差600mを登る。 アブレーションバレイに入り、暗闇の中、ライトの明かりを頼りに黙々と歩いて行く。 トレイルは緩やかだが、その分、峠までの距離は長い。 岩と雪の道はどこまでも続いていた。山腹を巻いたり、小尾根に上がったり、どこを歩いているのか判らない。 途中、石積みの小屋があった。中に入り、熱い紅茶を飲み一息つく。 小屋を出て暫くすると、夜が明け始めた。やがて太陽の恵みが訪れる。今日も快晴の1日になりそうだ。 少し緩傾斜の地点に出ると、前方に峠らしき稜線が確認でき、色とりどりのタルチョが見えてきた。ラルキャ.ラは近い。 夜中に出発して5時間かけ、ようやくラルキャ.ラ(5160m)に着く。ほっとした気分で、思わず座り込む。なにか力が抜けていくようだ。 峠には屋根のない石積みの小屋があった。 五色のタルチョがあちこちにあり、風に揺れている。 到着してすぐ、チリンがしきりに早く下ろうと言う。 もうここまでくれば後は下るだけだ。先に下山するよう指示し、じっくり時間をかけて周辺の景観を楽しむ。 なんだかこのまま下山してしまうのももったいない。ここまで来たのだから・・・・。 もう少し時間をかけてラルキャラ周辺を散策したかったが、メンバーも早めに下山したいようなので、ほんの数分の滞在で峠を越える。 |
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ラルキャ.ラ(5160m) |
ラルキャラからの下りは急なガラ場になる。岩と雪のミックスで凍りついた箇所もあり幾度も足を取られる。 峠からの下山道は、素晴らしい景観が広がっていた。ネムジュン、ギャジカン、アンナプルナU、カングル―の山々、更に下部アブレーションバレイに下ると、マナスルの西壁も姿を見せる。 陽も高くなり春のような陽気だ。 ラルキャラから標高差1400mを下ってきた。 ビンタンは、草の平坦地で、とてつもなく広い。ロッジもあり、小川も流れていた。 |
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12月4日 Bimthang8:05-Tilije16:20(快晴) ビンタンからひと登りでモレーン大地に上がり河原に下る。白砂の道を流れを避け河原の石伝いに進む、途中、小さな尾根に出るが、ここが最後の展望地だ。 川を右岸に渡り、陽のあたらない原生林の中に入って行く。日本の里山林のような所も通過した。 道はドゥドコーラの右岸をたどり、時には河原を歩き、再び登り返し、又、山腹道を緩やかに下る。途中開けたところではマナスルやプンギなども望めた。 林を抜けるとサングレ.カルカに着く。 ここには一軒の茶屋があり、マナスル北峰、ラルキャPが望めた。 サングレ.カルカからは再び樹林帯に入り、急なジグザグ道をくだる。道は広く整備されていた。 カルチエで昼食を取る。 今日のメニューは「天ぷらうどん」毎回美味しい食事でCook達には本当に感謝する。 カルチエからは、次第に畑が多く見られるようになってきた。 昼食後は、川を渡り急登、結構厳しい登りだった。峠からは容易な下りの道。 生垣のある民家も現れ、人里に近づいてきた感じがする。この辺の集落は山里の雰囲気が残りなかなかいい。 ティリジェ村の入り口にはカンニがあった。 ロッジの庭先にキャンプを張る。 ここからは、日本にもモバイルが繋がった。電池の充電代は300Rsとすごく高い。 |
サングレ.カルカ |
カルチエ |
ティリジェここの庭にキャンプ |
12月5日 Tilije 8:15-Tal14:10(快晴) キャンプ地を出てすぐドゥドコーラの吊橋を左岸に渡る。シェルパ達より一足先に出発したが、彼らはなかなか追いついてこない。 30分ほど遅れて合流すると、今朝、ロッジでコックが携帯電話を盗まれたと言う。 充電中に盗まれたらしい。調べたが、犯人は判らぬまま、あきらめて出発してきたと言う。ネパールでは盗難はよくある。私の携帯も危なかった。何もなく充電できたが幸運だったのかもしれない。 今日はドゥドコーラ左岸沿いの道を緩やかに下る。単調な道を1時間半でマルシャンデイを吊橋で渡るとダラパニ。 ここで、アンナプルナ周遊コースと合流する。。 静かな山旅も、ここまで。トレッカーも急に多くなり、賑やかになる。昔来た時の面影が全くない。 タルには14時10分着。 花に囲まれたパラダイスロッジの庭にテントを張る。さすがにここまでくると暖かかった。 |
12月6日 Tal 8:10-Syanje11:40 シャンゲ発13:00(ミニバス)Besisahar16:30 (快晴) タルから河原を歩き、カンニのゲートをくぐる。岩場の道や農家の軒先道と、登下降を繰り返して行く。展望のよい高台に出ると、マルシャンデイのゆったりと流れが俯瞰できた。改めて大きな河であることを実感する。 周辺の山村や民家もあちこちに望まれ、朝餉の準備なのか煙が立ち込めている。 歩く旅も今日で終わる。 多くのトレッカーや村人と行きかう。ジャガット手前の吊橋ではロバの渋滞にも遭遇した。 下るほどに道は広くなり、いたるところ道路工事が行われていた。 32年前、ここに来た時にはロッジも粗末で、民家の土間に寝たことが懐かしく思いだされた。 通過する村(町)も洒落た作りが多い。ロッジの庭にはオープンカフェがあり、色とりどりの花が咲いていた。 シャンジェには、3時間半ほどで到着した。 今は車もここまで入る。これから、更に、奥まで車道ができるであろう。 ミニバスに荷物を積み込み、ダート道路を4時間弱で、べシサールに着いた。 べシサールは、その昔、道の両脇に粗末な家があったのみの所だ。 町が近づいてきても当時の見覚えのある所は全くない。 今は道路も舗装され、商店が並び、高いビルもできている。その変貌ぶりには驚かされた。 この村(町)には忘れられない思い出がある 宿泊したロッジで少女が大やけどをし、村のお医者さんを探し手当してあげたことがあった。数日間治療に通えるお金も渡して、私は旅に向かった。 あの時の子供は、今、どうしているんだろう、成人し結婚もして、子供もいるかもしれない。 そんな事も懐かしく思い出された。 ベシサールでは大きなビルの「ツクチェ.ホテル」に宿泊した。 久しぶりにシャワーを浴び、この夜は盛大に旅の御苦労さん会を行う。 恒例のCongratulationケーキで、豪勢な食事と共に、旅の無事終了を祝い、ネパールスタッフ、メンバー共に労をねぎらった。 ポーターはここで解散する。 個人個人に労をねぎらい、心からのボクシスをあげ感謝の言葉を伝えた。 |
吊り橋でのロバの渋滞待ち |
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12月7日 Besisahar 8:30(専用バス)KTM 15:35(快晴) チャーターバスでカトマンズに向かう。昨夜Rolwarigのスタッフと共にバスが到着、8時30分べシサールを出発カトマンズ15時35分到着。長い旅が終わる。 |