Nepal大地震1ヶ月後のカトマンズの情報
5〜6/2015
5月、再びネパールへ地震後の調査、今後の支援など。
●Bhoudhat(ボダナート) チベット仏教寺院 震災祈願に行く。仏塔の上、相輪部が少しダメージ、ストゥーパ周囲を何周もまわり、祈る。 たくさんの人達がプジャに訪れていた。苦行、五体投地で周る人も・・・。 |
||
上部修復中、いつもの四方に張られたタルチョーはない |
五体投地、数珠を手に経文を唱えながら周る人も <万灯>それぞれの思いでプジャをする |
Pray for Nepal ! |
||
ボダナートではおおくの人達が祈りを捧げていた |
●地震1か月後KTM市内北部と西部郊外のSitapail周辺の状況 倒壊した家屋は確かに凄まじい姿だ。 TVや新聞ではこんな状況が繰り返し報道された。 多くの人達は、カトマンズは全滅のような印象を持たれている。確かにダメージはあるが倒壊家屋はそれほどはない。 4月25日の震源地ゴルカ、5月12日のシンドゥバルチゥクはかなりの被害で、山岳地帯の状況もすごい。 現地のシェルパ達からたくさんMailが届いている。そのうち山の状況もUPします。 KTMは大丈夫、皆さん訪れてください。 |
||
KTM市内、Gongabu周辺 | リングロードニューバスパーク近く | |
カトマンズ郊外、長閑かな農村部Sitapaila周辺 |
●ダルバールスケア(旧王宮)2015、5,30 地震の翌日(4月26日)調査した時よりガレキも整理されすっきりしていた。バサンタプール広場にはたくさんのテント村ができていた。 |
||
カスタマンダップ(後のKTM名由来の場所) |
左.ナラヤン.テンプル、右.マジュ.デバル |
難民キャンプとバサンタプールタワー |
●避難民キャンプ、カトマンズ市内と郊外リングロード北と西 カトマンズの難民キャンプを訪ねる。日本から持参の飴、お菓子、餅など・・・・食糧を持参 地震から1か月が過ぎた。この時期キャンプ生活をしている人たちは殆どが家屋を失った人たちだ。 口ぐちに政府は期待できないと自力で倒壊した家屋の煉瓦など撤去に頑張る姿に胸が痛む。 |
|||||
被災者家族(PeaceGarden) |
|
食糧をあげてもほんの一時、それでも子供も大人も、皆、喜んでくれた。 皆、明るくたくましい 自力で復興に向かっている |
●カトマンズの市内、地震前の賑わいが戻ってきた | |
AsanTole、 庶民の台所アサンも店がオープン、野菜市場も地震前と変わらぬ賑わいが戻っていた(5月30日) |
滞在中小さな地震が時々あった カトマンズ市内も通常の生活に戻る。レストランや土産品店もオープン。しかし観光客はやはり少ない。 Cafeも静かでのんびりできた。 皆、物価が高くなったと嘆いている。 それでも必要なものはなんでも手に入ると言っていた。 インド系の店は閉まっているところが目立つ、皆インドに避難し、まだ戻ってこない。 特に散髪屋、洋服の仕立て屋の人達が多い。 |
カトマンズはこんな感じ、今はいつもと変わらぬ日常が戻りつつある・。 2015年6月初旬、KTM市内の状況。 |