AnnapurnaSanctuary:2003.12 |
12月7日(晴れのち曇り) ポカラ(車)ナヤプール〜シャウレバザール〜ガンドルン ナヤプールからシヤウレバザール経由ガンドルンへ。歩き始めてあまりの暑さに閉口する。途中オレンジが実り日本の寒さが信じられない。半袖で汗が吹き出る。モデイコーラを右に俯瞰し、幾度も通った石段道をたどる。ガンドルン着14時。のんびりと6時間の行程。本道を外れたアンナプルナGH泊。新築したばかりのロッジ、お湯の出ないシャワー付の部屋。村にはマオイスト(毛沢東主義派ゲリラ)を警戒するアーミーが大勢駐屯している。現在70名ほどで更に増強するとの事。ポカラの情報でマオバテは、最近この地にも集結しはじめているらしい。 夜、2名のアーミーが宿泊者のチェックにくる。1人が銃口をかまえ入り口に立つ、1人が宿泊者のチェツク。物々しい警戒だ。「どこから来た」「日本だよ」どこに行く、「BCに行くだ」会話はこの程度、後はなんのチェックもなし。「お茶でも飲んでいったら」と言うが軽く手をあげて帰っていった。 宿泊客の中には、ソロクーンブから来たあまり若くないシェルパ二達が賑やかに騒いでいる。観光で旅に来ているとの事。陽気なシェルパ二の歌と踊りは夜遅くまで続いていた。 12月8日(晴れのち曇り)ガンドルン〜チョムロン 8時15分出発。ガンドルンから、ひと登りして、次に足場の悪いキュムロンコーラまで急な下り。途中、シンガポールの若者グループを追い抜く。ガイドは一人ひとり手を取り大変。川を渡りキュムロンで昼食。再び登り返しチョムロン14時着。 今日も暑い。 インターナショナルGH泊。石畳の広い庭のテラスで山を眺め、のんびり過ごす。あちこちに花が咲き、部屋もきれいで食事も美味しい。サウジ(主人)はとても感じがよく、夕食後、この地域のいろんな話を聞く。ミネラルウオーターを注文したら、今はペットボトルの水は販売しないとの事。観光客やポーターが飲み捨てた空ボトルが山を汚すのが理由だそうだ。先日もアンナBCまでホテル組合のメンバーで清掃に出かけ、ポカラまで背負いおろしたとの事、グルン族は結構きれい好きだと言っていた。そういえばこの地域はどこに行ってもとても綺麗、旅の途中、いたるところで掃除をしている姿を見た。 これから上は、フイルターで濾過した水をのむことになる。 12月9日(晴れのち雨) チョムロン〜ドバン 朝、出発前、昨日通過したガンドルンで2名のマオイストが射殺された話を聞く。朝7時のラジオのニュースだ。サウジが知らせてくれた。マオには少し興味があったが遭遇しなくて良かったかも。 チョムロンの村を下り、対岸に渡る。丘の上のシヌマまで2時間、マチャプチャレがモデイコーラの谷の上に望める。茶屋のりんごがおいしかった。シヌマまでは緩やかに登り、やがて石段道を下り、バンブー。ここで昼食。中年3人組の日本人に会う。ネパール人ガイドが一緒だった。チョッと目つきが悪い。聞くとガイド料金もかなり高い。「ガイドも最近悪い奴たくさんいるから〜気をつけて」なんて言っていたのが、日本語ペラペラみんな判ってしまったらしい。 昼食後、急に天候がおかしくなる。急いで出発、ドバンに着くと激しい雨降りになる。今日はヒマラヤまで行く予定だったがここに宿泊する事にする。遅れて到着したシンガポールGは大雨にたたられ、完全装備で到着する。 雨はその後朝方まで降り続き上部では雪になったようだ。 12月10日(晴れ)ドバン〜マチャプチャレBC 朝起きるとマチャプチャレが暗い谷の上に望める。フイッシュテールの名そのままの姿、形。周辺は岩山で、登攀には格好の岩壁である。登るほどに雪道となる。3時間ほどでデオラリ、前方に、ガンがプルナが姿を現し、内院に近づいてきた感じだ。マチャプチャレBCへの最後の登りは10Cmほどの雪道。アンナプルナ南峰がガスの中に見え隠れする。陽に融けた雪がシューズの中に浸み込み足先が冷たい。 マチャBCのロッジはストーブが焚かれていた。ネパール式の“炬燵”はテーブルの上に毛布をかけ、中の足元でコンロを焚く。大勢が一緒にくつろぎ暖が取れる。早速、靴を脱いで足を暖め乾かす。この高さまでくるとさすがに寒さが厳しい。フリースジャケットの上にダウンを着込む。 紅茶をガバガバ飲み、ジンジャースープを飲み、夕食はマカロニグラタン。味付けは塩辛い。今まで食事はどこも美味しかったがここの味付けはいまいち。シンガポール組みはいろいろな食糧を持ち込んでいた。ビスケットと焼き海苔をご馳走になる。 夜半トイレに行くと、外はすごい星空、寒い。トイレは床が凍り、危うくすべり落ちそうになる。月も出て山々が蒼白く輝いて見えた。 12月11日(快晴)マチャプチャレBC〜上部へ〜ドバン〜シヌマ 6時起床の予定が寝過ごしてしまう。コーヒーを飲んで急いで朝焼けのアンナ南壁の写真を撮りに出かける。7時少し前に、山々は茜色に染まり始めた。駆け足で被写体のいいとこまで行こうとするが、ここは標高4000mの高さ、足がなかなか進まない。朝焼けは次々と色彩を変えてくる。ほんの数分でドラマは終わり、単調な姿に変わる。寒いので急いで引き返す。ロッジで荷物をまとめ山を下る。 ヒマラヤホテルで朝食、10時40分着。ドバン着12時40分、ここで本格的なダルバートの食事。バンブー14時10分。今日はここまでの予定であったが谷間で展望もない。あと2時間、シヌマまで行け!と、言うことで、石段の急坂を登り、トラバース道まで一気に駆け上がる。天気も良く日没まで時間はたっぷりある。シヌマ着16時40分。かなり足が痛い。 ここは峠の高台で展望もよく、気分のいいところだ。陽の沈むまで外のテラスでのんびり過ごす。日が沈むとさすがに寒い。ネパール式の炬燵に入る。ロッジの子供達と、煎り豆を食べながら、遅くまで話しこむ。ここのロッジの娘さんは、日本人と結婚し、今は日本で暮らしているとのこと。気さくで親切で山の人々はどこに行っても温かくむかえてくれる。 12月12日(快晴)シヌマ〜チョムロン〜ジヌー 今日の行程はは短い。のんびりと行く。朝ロッジでは、コーヒーをきらしていて飲めなかった為、少し下の茶屋でCoffeeタイム。20分ほど下ると親子の日本人と会う。又、ここでティータイムをとり40分ほど話し込む。お父さんは膝の痛みがひどく、もうかなり参っている。息子さんがインドに暮らしていて、父親をこの旅に誘ってきたと言う。無理をしないよう言って別れた。チョムロンで昼食。ランチを取りゆっくり2時間ほど休憩。 ここからの道は下りのみ。今日は陽のある内にジヌーに着けばいい。花の咲くテラスで、あくことなくヒマラヤを眺めくつろぐ。快晴で、標高も大分下がったので、日中はかなり暑くなる。 のんびりと下り始める。しかしこの下りがかなり厳しい。殆んどの人達が横向きになって歩いている。昔クライマーとしてはそんな歩きは見せられない。足が痛くても、疲れていても、余裕のある下り方をしなければならない。ネパール人は、敏捷で、皆、走るように駆け下りていく。トレッカーは恐るおそるといった感じ。下から登ってくる人達はかなりキツソウだ。みんな、汗びっしょり。15時ジヌー着。 日当たりのいいガーデンで猫と戯れ、デデイと雑談、くつろぐ。 ここジヌーには、20分ほど上に行くと温泉もあるが、登り返すのが嫌で今回はあきる。 12月13日(快晴)ジヌー〜シャウレバザール〜ナヤプール(車)ポカラ ジヌー7時30分発、およそ1時間ほどでニューブリッジ。まだ、谷には日がとどかず寒い。今日は、アップダウンの少ない道、途中で出会うのは村人のみ、静かなトレッキングになる。このルートは初めての道だ。モデイコーラ右岸の林道を過ぎ、畑の中の道をたどる。バッテイを見つけてははチャーを飲み、だらだらと歩く。標高が下がるにつれ暑さが増す。周辺の緑が美しい。ブーゲンビリアの色彩が緑に映え、いいコントラストを見せている。シンガポールグループのポーターと常に一緒に歩く。彼らは、時々、ガンジャを吸い、重い荷物を背負い、笛を吹き、陽気に歌う。 いい加減歩くのがいやになった頃、シャウレバザールに着く。ここのダルバートは美味しかった。くつろいでいる間、家を新築しているらしく、若い娘さん達が河原から幾度も往復し、石を運んでいた。ここには、農村ののどかな雰囲気がある。河原を挟んで田んぼが広がり、山際には、たわわなオレンジがなり、バナナも実っている。 今回の旅もまもなく終わる。ビレタンティ14時30分着。そしてバスでポカラへ。 |
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